たくましく生きる二人の女性
上巻に続き一気に読みました。
大人の女性として成長していく正子と蔦代。
二人の姿が鮮やかに描かれている。
花柳界を離れた正子の思慮深く堅実な女性への成長。
蔦代の磨きのかかった狡猾さとたくましさ。
それにしても蔦代という人物像は本当によく出来ている。
始終正子の引き立て役でありながら、その存在感は圧倒的。
信心深く親孝行で働き者という面をもちながら、周りの人間を陥れるような悪女である一見矛盾しているような性質に、非現実的な魅力を感じるが、どうしてなのか彼女の存在はリアルだ。
自分に率直であるという一点への矛盾のない繋がりで彼女の存在は現実感を持っているのかもしれない。
十数年前読んだ同作家「悪女について」をちらと思い出した。
震災、二次大戦による生活文化の断絶。
話の途中でいきなり第二次世界大戦が登場するのには驚いた。
日本髪を結い和服を着ていたむかしと、祖父母が生きていた時代とが急につながったから。
今ブームになっている「和の暮らし」ってこんなに近い時代に、普通にあったものだったのか。
例えば卓袱台には「昭和の暮らし」の印象がつきまとうが、実は卓袱台で食事をとるようになったのは戦後のことで、それ以前には箱膳で食事をとっていた、など。
箱膳で食事を取るのは待合(料亭)だけの習慣なのか、普通の家でもそうだったのか知りたい。
縁側があって、景色を配慮した小さな庭があって、井戸があり。
竈があって、囲炉裏があって、火鉢がある。
そして日常着は和服である。
スローライフ、スローフードを取り戻そうとする現代にとって、昭和の初めは桃源郷であり、限りなく遠い。
私は最近和服に興味をもち、夜は浴衣で過ごしたりもするが、私にとって和服とは生活につながるものでなく、例えばインドのサリーのように「エスニックな服」なのだ。
楽で便利で自由に生まれた私には、古き良き時代を再現して暮らすのはとても無理だろうが、その香りだけでもこの本から感じとれるのはうれしい。
芝桜 下 新潮文庫 あ 5-14有吉 佐和子
ファジーな感じで
上巻に続き一気に読みました
posted by メイサ at 02:00
| 日記
ヴィヴァルディの「四季」と「調和の霊感」両方が聴けます。
ヴィヴァルディの「四季」と「調和の霊感」両方が1枚で聴けて便利です。
演奏の内容とかはよく分かりません。
すみません。
思い出のある曲が多く収録されていて満足です。。。
特にすばらしい「調和の幻想」
ヴィヴァルディと言えば、イ・ムジチ合奏団の「四季」と言えるほど代表的な協奏曲です。
あくまでも中庸、しかしメリハリがあるミケロッティのヴァイオリンが、心地よく心にしみ通ってきます。
ところが!同時に入っている「調和の幻想」がこれまたすばらしい演奏です。
作品356番のもの悲しくも揺さぶられた心を現わすヴァイオリンの協奏。
買って後悔しない、すばらしい1枚でした。
四季のベスト盤
まだLPからCDへの過渡期のころの録音だと思うが、
レンジも広く、なにより弦楽器の響きが優秀。
四季というとイ・ムジチ合奏団という定番だが、
私の知る限り3つの演奏があり、
一番古いのアーヨ盤、そしてこのミケルッチ盤、そして95年にシルフ盤というのがある。
3枚のうちはこのミケルッチ盤がベストであり、四季の中でもベスト盤である。
夏の3楽章を聴くとぞくぞくしますよ。
ヴィヴァルディ:協奏曲集 四季/ 調和の幻想 第6・8・10番
ミケルッチ(ロベルト)
ルートートのバッグインバッグ
。バッグの中身を整理整頓。
演奏の内容とかはよく分かりません。
すみません。
思い出のある曲が多く収録されていて満足です。。。
特にすばらしい「調和の幻想」
ヴィヴァルディと言えば、イ・ムジチ合奏団の「四季」と言えるほど代表的な協奏曲です。
あくまでも中庸、しかしメリハリがあるミケロッティのヴァイオリンが、心地よく心にしみ通ってきます。
ところが!同時に入っている「調和の幻想」がこれまたすばらしい演奏です。
作品356番のもの悲しくも揺さぶられた心を現わすヴァイオリンの協奏。
買って後悔しない、すばらしい1枚でした。
四季のベスト盤
まだLPからCDへの過渡期のころの録音だと思うが、
レンジも広く、なにより弦楽器の響きが優秀。
四季というとイ・ムジチ合奏団という定番だが、
私の知る限り3つの演奏があり、
一番古いのアーヨ盤、そしてこのミケルッチ盤、そして95年にシルフ盤というのがある。
3枚のうちはこのミケルッチ盤がベストであり、四季の中でもベスト盤である。
夏の3楽章を聴くとぞくぞくしますよ。
ヴィヴァルディ:協奏曲集 四季/ 調和の幻想 第6・8・10番
ミケルッチ(ロベルト)
ルートートのバッグインバッグ
。バッグの中身を整理整頓。
posted by メイサ at 00:30
| 音楽
自分ははみ出しものではないんだ
必ずしも
この作品を読んで自分ははみ出しものではないんだ、と感じた。
主人公は安曇野で生まれ、育っているがまったくその土地に執着していない、リリーとゴボウと安曇野を訪れる描写など、まるで地元を愛していない、初めて訪れた観光客のような語り口である。
最後も地元に戻る決心をする、などではなく東京で生きていくような描写であるし、私も個人的に自分の地元をまったく愛していないので、主人公には共感する部分があった。
風土ではなく、人。
そこで出会った人々が風土よりも大事なのだ、と感じさせられた。
素敵なもの、大切なものは散りばめられているけど・・・
小川糸さんの全2作は雰囲気が好きで、応援したい作家さんです。
けど今回は他の作家さんに似た匂いを感じ、あまりオリジナリティを感じずかなり残念。
小川さんの語りたいことはわかる。
大切なことに気づいている人だと思う。
でも伝えたい思いが高まるばかりに欲張りすぎて空回りしてる印象が残りました。
安曇野や沖縄の美しい自然の描写も美味しそうな食べ物もたくさんたくさん次から次へと出てきて、あまりの忙しさにどれも体にジ?ンと沁みる余裕がなかった。
この作品のなかで突出して素晴らしいのは「菊さん」の存在。
素敵すぎて、それ故にあまりにキャラが際立ってしまっていて、逆に浮いてしまった菊さんが可哀そう。
こういう生き方をしている人こそが本当の命の尊さや厳しさを知っている。
できれば、菊さんが主人公の作品も読んでみたい。
安易すぎる
ファミリーツリーとは家系図をそう例えたタイトル血はすばらしい出会いを経て繋がっていくというお話。
自分的には色々な作家の作品を集合させて色をつけましたて感じに思えた。
主人公のリュウが子供のころから話が始まるはとこみたいな感じの親戚のリリーとリュウと二人を取り巻く人々との物語。
愛犬の海についての部分では西加奈子さんの「さくら」、リュウの少年時代には少年リュウと少女リリーの甘酸っぱい関係に江国香織さんの「こうばしい日々」を思い出し、リリーの少女時代の美しくも儚くでも凛としたたたずまいは村上春樹の「ダンスダンスダンス」に出てきた少女ユキを、大学になってできた同級生ゴボウと20歳以上年の離れた女性との恋愛では江国香織さんの「東京タワー」を思い出し、そんな風にいろんな物語に色々な要素を詰め込んでなんとなくいけている物語をつくりましたって感じなのでなんだか薄っぺらくてじっくりと味わって読む物語ではなかった。
主人公のリュウこと流星になんの魅力もなく(いじけがちで精神的に弱く、ひとつのことを継続する力がない)文章中にも主人公の魅力部分が全く表現されておらず、なぜにハーフですばらしい美貌を持つリリーが一生に一人の男だと決め付けるべく、そんなにもリュウにのめりこんでいるのかはまったく理解出来なかった。
そして冒頭部分に出てきた「空とおしゃべりするのが大好きな少女」だったリリーはどこへ行ってしまったんだろう。
物語中盤からは、むしろなんで冒頭にリリーは空を見てると空想の世界に飛んでしまうような、普通とは違う子だったって描写を無理やり入れたのだろうって疑問ばかり頭をめぐった。
母親に虐待されていたという影をそこに表現したのだろうか。
その割には虐待の事実はリリーの口からぽつりと出ただけだった。
子供の虐待という重い内容をそんなさらっと流すだけで物語に盛り込むこともないと思う。
中盤からは特別な魅力はないが、しっかりもので美人な女の子という印象しかうけなかった。
少女時代の独特の空気は成人してしまうと損なわれる場合が多いが、この作品のリリーもそういうことだったんだろうか?ゴボウのセリフの軽さには愕然とすることが多かったが命ってそんなに軽いものではないと思う。
俺今ハッピーだから子供生まれてもぜんぜん大丈夫的な、先をまったく見越していない発言。
周囲の人間関係をまったく無視した、今俺は年上の人を大好きだから、その人と幸せになれる、ずっと好きでいられるという安易な自信。
命は繋がっていくということを書きたかったのか?性の低年齢化を示唆したのか?愛犬との悲しい別れを乗り越えて愛する人と再生する話を書きたかったのか?親はどんな子供でも自分の子供はかわいい、だから命はどんどんつないでいくべきってことを書きたかったのか?色々なテーマを盛り込みすぎて結局終盤は霊まで出てきちゃって無理やりドタバタと最後まで持っていく感じで納得いかなかった。
最後の終わり方はなんなんだろう。
世の中の子を産む母親たちを馬鹿にしているのか?そこからが大変なのに、その一言でめでたしめでたしハッピーエンド的な終わらせ方はあまりにも安易だろう。
すべてそこからなんだけどな。
本を読むからには読んで良かったと思う本を読みたいけどたまにこうして、読まなきゃよかったと思う本に出会う。
たくさんの作品を出して、色々な試みをして、作風を確立して初めてこの作家の作品なら間違いなしってところまでたどりつくんだろうな。
ファミリーツリー小川糸
この作品を読んで自分ははみ出しものではないんだ、と感じた。
主人公は安曇野で生まれ、育っているがまったくその土地に執着していない、リリーとゴボウと安曇野を訪れる描写など、まるで地元を愛していない、初めて訪れた観光客のような語り口である。
最後も地元に戻る決心をする、などではなく東京で生きていくような描写であるし、私も個人的に自分の地元をまったく愛していないので、主人公には共感する部分があった。
風土ではなく、人。
そこで出会った人々が風土よりも大事なのだ、と感じさせられた。
素敵なもの、大切なものは散りばめられているけど・・・
小川糸さんの全2作は雰囲気が好きで、応援したい作家さんです。
けど今回は他の作家さんに似た匂いを感じ、あまりオリジナリティを感じずかなり残念。
小川さんの語りたいことはわかる。
大切なことに気づいている人だと思う。
でも伝えたい思いが高まるばかりに欲張りすぎて空回りしてる印象が残りました。
安曇野や沖縄の美しい自然の描写も美味しそうな食べ物もたくさんたくさん次から次へと出てきて、あまりの忙しさにどれも体にジ?ンと沁みる余裕がなかった。
この作品のなかで突出して素晴らしいのは「菊さん」の存在。
素敵すぎて、それ故にあまりにキャラが際立ってしまっていて、逆に浮いてしまった菊さんが可哀そう。
こういう生き方をしている人こそが本当の命の尊さや厳しさを知っている。
できれば、菊さんが主人公の作品も読んでみたい。
安易すぎる
ファミリーツリーとは家系図をそう例えたタイトル血はすばらしい出会いを経て繋がっていくというお話。
自分的には色々な作家の作品を集合させて色をつけましたて感じに思えた。
主人公のリュウが子供のころから話が始まるはとこみたいな感じの親戚のリリーとリュウと二人を取り巻く人々との物語。
愛犬の海についての部分では西加奈子さんの「さくら」、リュウの少年時代には少年リュウと少女リリーの甘酸っぱい関係に江国香織さんの「こうばしい日々」を思い出し、リリーの少女時代の美しくも儚くでも凛としたたたずまいは村上春樹の「ダンスダンスダンス」に出てきた少女ユキを、大学になってできた同級生ゴボウと20歳以上年の離れた女性との恋愛では江国香織さんの「東京タワー」を思い出し、そんな風にいろんな物語に色々な要素を詰め込んでなんとなくいけている物語をつくりましたって感じなのでなんだか薄っぺらくてじっくりと味わって読む物語ではなかった。
主人公のリュウこと流星になんの魅力もなく(いじけがちで精神的に弱く、ひとつのことを継続する力がない)文章中にも主人公の魅力部分が全く表現されておらず、なぜにハーフですばらしい美貌を持つリリーが一生に一人の男だと決め付けるべく、そんなにもリュウにのめりこんでいるのかはまったく理解出来なかった。
そして冒頭部分に出てきた「空とおしゃべりするのが大好きな少女」だったリリーはどこへ行ってしまったんだろう。
物語中盤からは、むしろなんで冒頭にリリーは空を見てると空想の世界に飛んでしまうような、普通とは違う子だったって描写を無理やり入れたのだろうって疑問ばかり頭をめぐった。
母親に虐待されていたという影をそこに表現したのだろうか。
その割には虐待の事実はリリーの口からぽつりと出ただけだった。
子供の虐待という重い内容をそんなさらっと流すだけで物語に盛り込むこともないと思う。
中盤からは特別な魅力はないが、しっかりもので美人な女の子という印象しかうけなかった。
少女時代の独特の空気は成人してしまうと損なわれる場合が多いが、この作品のリリーもそういうことだったんだろうか?ゴボウのセリフの軽さには愕然とすることが多かったが命ってそんなに軽いものではないと思う。
俺今ハッピーだから子供生まれてもぜんぜん大丈夫的な、先をまったく見越していない発言。
周囲の人間関係をまったく無視した、今俺は年上の人を大好きだから、その人と幸せになれる、ずっと好きでいられるという安易な自信。
命は繋がっていくということを書きたかったのか?性の低年齢化を示唆したのか?愛犬との悲しい別れを乗り越えて愛する人と再生する話を書きたかったのか?親はどんな子供でも自分の子供はかわいい、だから命はどんどんつないでいくべきってことを書きたかったのか?色々なテーマを盛り込みすぎて結局終盤は霊まで出てきちゃって無理やりドタバタと最後まで持っていく感じで納得いかなかった。
最後の終わり方はなんなんだろう。
世の中の子を産む母親たちを馬鹿にしているのか?そこからが大変なのに、その一言でめでたしめでたしハッピーエンド的な終わらせ方はあまりにも安易だろう。
すべてそこからなんだけどな。
本を読むからには読んで良かったと思う本を読みたいけどたまにこうして、読まなきゃよかったと思う本に出会う。
たくさんの作品を出して、色々な試みをして、作風を確立して初めてこの作家の作品なら間違いなしってところまでたどりつくんだろうな。
ファミリーツリー小川糸
posted by メイサ at 00:53
| 日記
美しく、とても整った一冊です
美しい自然に囲まれた屋久島に、美しい男女4人が集まり、自分たちの過去を巡る「美しい謎」を解きあっていく。
ほぼ全編、会話と回想で進んでいくのですが、会話は機知に富んでおり、「謎」もスリリングで飽きさせない。
そして舞台となる屋久島の自然の素晴らしさ、というか、それを描き出す著者の筆力のすごさも、この小説の大きな魅力。
屋久島の森を巡りながら、人の誰もが抱える心の森の中に分け入っていく・・・そんな趣の一冊です。
もっとも、私のようなひねくれた人間は、そのあまりにも整いすぎた舞台設定に、なんとなく鼻白んでしまうのも事実。
そんなわけで星4つなのですが、フィーリングが合う人には最高の一冊なのではないかと思います。
美しい
恩田作品で1番好きです。
一人ひとりの心の中を描いた作品。
心とは別に、現実の世界でのかけひきも絡み一見ぐっしゃぐしゃになってもおかしくない人間関係を、最後まで美しく描いています。
視点が一人ずつ変わっていくのですが、こういう順番でくるかーというちょっとした驚きもあり。
他シリーズと重なる部分は恩田ファンにとってはテンションのあがるところ。
今はこれを超える新作を期待しています。
ストーリーは良いですが、表現に難ありと思います
ストーリーそのものは良かったのですが(少なくとも上巻は)、表現が気になりました。
具体的に述べると、同じ語や抽象的な表現、余計な描写が多いと思ったのです。
まず、学生時代の仲間同士が旅行に行くところから始まるのですが、時系列が前後するので、最初は潔が不参加であることが分からず、戸惑いました。
そして、主題が「憂理」のことなのに、彼女の名前が出てくるより先に、P71でただ「彼女」とだけ表記するのは、唐突な印象を受けました。
個人的には、「憂理」の名前が先の方が良いと思います。
それにしても、パートナーがいる男女が、それぞれ単独で旅行に参加などするものですかね?彰彦が女性から呼び捨てにされるのも、現実的ではないような気がします。
彼は蒔生と大学から付き合いがあるというだけなので、そこまで親しくなることができるものなのでしょうか、疑問に思います。
また、P223あたりで「幸福」が4文節の間で5箇所も出てくるのが読み辛く、「こと」や「そこ」などに置き換えた方がよいと思いました。
それ以外にも、P231やP278あたりの描写はややくどく、省いた方がすっきりすると感じた文章もありました。
節子が分かりにくい話し方をするというようなことも書かれていますが、読みやすくすることの方が大切ではないでしょうか。
同様にP206?208、P306?314の人達の話も、入れなければいけない必然性は感じませんでした(下巻でリンクしていたらゴメンなさい)。
そうそう、独白なのに「話が逸れたが」という表現もありましたね。
このようなところも、違和感を覚えるものでした。
何かアラ探しをしているようで嫌になりますが、気になるものは気になるのです。
下巻はもっと読みやすいことを期待します。
黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)恩田 陸
ほぼ全編、会話と回想で進んでいくのですが、会話は機知に富んでおり、「謎」もスリリングで飽きさせない。
そして舞台となる屋久島の自然の素晴らしさ、というか、それを描き出す著者の筆力のすごさも、この小説の大きな魅力。
屋久島の森を巡りながら、人の誰もが抱える心の森の中に分け入っていく・・・そんな趣の一冊です。
もっとも、私のようなひねくれた人間は、そのあまりにも整いすぎた舞台設定に、なんとなく鼻白んでしまうのも事実。
そんなわけで星4つなのですが、フィーリングが合う人には最高の一冊なのではないかと思います。
美しい
恩田作品で1番好きです。
一人ひとりの心の中を描いた作品。
心とは別に、現実の世界でのかけひきも絡み一見ぐっしゃぐしゃになってもおかしくない人間関係を、最後まで美しく描いています。
視点が一人ずつ変わっていくのですが、こういう順番でくるかーというちょっとした驚きもあり。
他シリーズと重なる部分は恩田ファンにとってはテンションのあがるところ。
今はこれを超える新作を期待しています。
ストーリーは良いですが、表現に難ありと思います
ストーリーそのものは良かったのですが(少なくとも上巻は)、表現が気になりました。
具体的に述べると、同じ語や抽象的な表現、余計な描写が多いと思ったのです。
まず、学生時代の仲間同士が旅行に行くところから始まるのですが、時系列が前後するので、最初は潔が不参加であることが分からず、戸惑いました。
そして、主題が「憂理」のことなのに、彼女の名前が出てくるより先に、P71でただ「彼女」とだけ表記するのは、唐突な印象を受けました。
個人的には、「憂理」の名前が先の方が良いと思います。
それにしても、パートナーがいる男女が、それぞれ単独で旅行に参加などするものですかね?彰彦が女性から呼び捨てにされるのも、現実的ではないような気がします。
彼は蒔生と大学から付き合いがあるというだけなので、そこまで親しくなることができるものなのでしょうか、疑問に思います。
また、P223あたりで「幸福」が4文節の間で5箇所も出てくるのが読み辛く、「こと」や「そこ」などに置き換えた方がよいと思いました。
それ以外にも、P231やP278あたりの描写はややくどく、省いた方がすっきりすると感じた文章もありました。
節子が分かりにくい話し方をするというようなことも書かれていますが、読みやすくすることの方が大切ではないでしょうか。
同様にP206?208、P306?314の人達の話も、入れなければいけない必然性は感じませんでした(下巻でリンクしていたらゴメンなさい)。
そうそう、独白なのに「話が逸れたが」という表現もありましたね。
このようなところも、違和感を覚えるものでした。
何かアラ探しをしているようで嫌になりますが、気になるものは気になるのです。
下巻はもっと読みやすいことを期待します。
黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)恩田 陸
posted by メイサ at 16:19
| 日記